沖縄の伝統工芸

伝統工芸の歩み

琉球王国時代に貿易立国を国是として栄えた沖縄は、諸外国の影響を受けて種々の立派な工芸を生み出しました。そして、これらの工芸は首里、那覇を中心にして発展し、幾百年後の今日まで沖縄独特の伝統工芸として受け継がれております。それは、首里に王府があり、那覇港が海外貿易の拠点となっていたからです。海外貿易で最も栄えた14・5世紀頃の首里那覇の寺院の装飾や王族・士族の使用した什器類には舶来の立派な工芸品が数多くありますが、その中には沖縄で出来たと思われるものがあり、この頃からすでに沖縄では相当の工芸技術があったことが想像されます。しかし、慶長以後薩摩の支配下におかれてからは、外国の物資が潤沢に入らず、工芸品はすべて自国で生産せねばならなくなりました。

王府では殖産工業として工芸の振興に力を入れ、製品を国内の需要に充て、さらに中国や日本への輸出または献上品として制作されました。それらは王府の奉行所で,厳しい監督のもとに制作されたため、技術的に高度に発達しました。そして、立派な技術者は表彰され、地位を授けられ、生活まで保障されたので、人々は家門の名誉として仕事に励み、子や孫にも業を伝えました。こうして、染織は主に首里に、漆器は那覇の若狭町に、焼物は壺屋に栄え、今日まで昔ながらに受け継がれております。しかもこれらの伝統工芸は諸外国の工芸のよい面をとり入れて発達したので、総体に多彩だということが特徴とされています。すなわち、南方系・中国系・朝鮮系などにわかれ、かつ、それらは沖縄の気候、風土に適するように、沖縄独自のものに作り上げられています。それでいて色彩や形、図柄などの面にもそれぞれの特色を発揮しています。

沖縄の自然が生み出した工芸

材料はすべて沖縄本島や宮古、八重山原産のものを使用しており、従ってどれをとってみても沖縄独特の味わいをもっています。また、一般に本土の工芸品にくらべて、色彩が明るく、かつ、おおらかであると、その道の人々から高く評価されています。

それは、沖縄の明るい自然や生活環境、或いは雄大な海洋を背景とする地理的条件などから、自然に生み出されたものといえましょう。これらの伝統工芸品は貴族用と庶民用にわかれ、特に庶民用は一般に生活用品として作られているため、たくましく、かつ、素朴さが特徴とされています。恵まれた自然環境の中で種々の伝統工芸が幾百年、先祖代々継承され栄えてきましたが、廃藩置県後は王府の瓦解により、次第に衰微しかけました。それでも、県が地場産業の発展策として、工芸産業に力を注いだため、明治の末期まで漸く命脈を保っていました。

衰退からの復興、そして発展へ

ところが大正から昭和の初期にかけて、世界の不況の波は沖縄にも押し寄せ、県や市の財政逼迫のもとで、工芸産業は益々衰えていきましたが、日本の工芸研究家や日本民芸協会の来島、調査等により、沖縄の文化、伝統工芸が評価され、中央にも紹介され多くの人々から注目されました。けれども、その発展の成果を見ないままに第二次世界大戦が勃発しました。戦時中は国家統制により、沖縄文化は軽視され、機械文明の波に押されて安価な工業製品が多量に沖縄に入り込み、伝統工芸産業は衰退の一途をたどりました。さらに戦災により首里・那覇とともに伝統工芸は悉く灰燼に帰してしまいました。戦後は沖縄独自の産業構造の中で、かつ米国政府の統治下で種々の材料に不足を生じながらも、工芸家各自の努力と県や市の産業振興策により工芸産業が次第に復興しました。特に復帰後は伝統工芸が活気を呈し、今日のような発展をとげております。