沖縄における焼物の歴史は、考古学的年代の土器をのぞけば、城跡などから出土する高麗瓦や大天瓦が最も古いと言われています。 尚永王(1573~1588年在位)の頃、瓦奉公所が設置され、瓦並に陶器を主管させたと記録されています。 そのころには、瓦が本格的に焼かれ、城や寺などの建築資材として使用されていました。

14~15世紀になると中国や南方諸国と貿易が盛んになり、中国からは多量の陶磁器が輸入され、輸入陶器時代を迎えます。 これ等は、琉球国の王侯貴族たちの間でも利用されましたが、一方では貿易品として南方へ逆輸入されることもありました。

このころになると南方から、いわゆる「南蛮焼」と称する技術の伝来があり、琉球の「泡盛」醸造ともかかわりともって来たものと考えられています。1962年(天和2年)当時の琉球王府は、美里村(現沖縄市)の知花焼、首里の宝口窯、那覇の湧田窯など、地方にあった窯場を現在の那覇市壺屋に統合し、陶器産業の振興を図ったと記録されています。 従って、現在の壺屋は300年余の歴史を有し伝統の火を燃やし続けています。

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